第一章 伊勢貞宗(礼法)

去 文明十五年六月三十日(一四八三年八月三日)   義政が東山山荘に移ってから三日後に 東山山荘の常御所にて 足利義政、永享八年生まれ、四十八歳 伊勢貞宗(いせ・さだむね)、文安元年生まれ、四十歳 室町幕府の政所執事。伊勢貞親の子。幕政全般について義尚を補佐していたが、温和な性格のためか敵が少なく、義政の信任も厚かったという。礼法に精通し、それを守り伝える役目を担っていた。伊勢流故実の大成者だと言われることもある。 (本文から) 貞宗 奉公人が奉書を渡すのも仕事、御台所様が治罰の判を渡すのも仕事。そう思えばなんの矛盾もないのですが、世間はそれでは承知しません。 義政 世間とは誰のことだ。 貞宗 世間は世間。誰のことでもありません。世の中の評判も後世の評価も、みんな世間が決めます。 義政 嫌だな。なんとも嫌だ。その世間とやらはいつも正義を装うが、実にいい加減なものだ。人を一人殺せば犯人扱いし、人をたくさん殺せば英雄扱いする。評判とか評価というものは、所詮そんなものではないだろうか。 貞宗 そうは言っても、みんなが大御所様について言っていることが、気にはなりませんか。 義政 気になるわけがない。私は私。私にとっての真実はひとつしかない。